PROFILE

城所 葵 -きどころ あおい-

Artist / Creative Producer / Sirius Artist Academy代表


歌、音楽、絵、花、デザイン、そしてアーティスト育成。
自分自身を作品として表現しながら、人の中にある想いや魅力も、世界に届く形へと整える。

17年間の芸能活動、メジャーデビュー、活動休止、フラワーアート、出産、アーティスト育成を経て、2026年より第二章をスタート。

  • 名前:城所 葵|Aoi Kidokoro
  • 誕生日:12月16日
  • 出身地:「カレーハウスcoco壱番屋」発祥の地、愛知県一宮市
  • 職業:アーティスト/シンガー/クリエイター/プロデューサー
  • 演奏できる楽器:ピアノ、バイオリン、箏、三味線、ギター、二胡
  • 好きな歌い手:神野美伽、坂本冬美、石川さゆり、大橋純子、八神純子、岩崎宏美、太田裕美、村下孝蔵、諌山実生、北原ミレイ
  • 好きな音楽家:岩崎琢、朝倉紀行、筒美京平、服部隆之、若草恵、斉藤ネコ、坂本昌之、杉本真人、安部潤、manzo
  • 好きな演奏家:寺井尚子、古澤巌、チェン・ミン、ジャー・パンファン
  • 趣味:森林浴、日本庭園巡り、和物集め
  • 好きなもの:ウーパールーパー、緑茶、お花、自然、
  • 特技:声優ソムリエ、手でグラムを計る(注:別班ではない)

城所葵のこれまでの歩み

原点音楽と出会い、とりあえず東京へ

愛知県一宮市生まれ。

幼少期からピアノとバイオリンを習い、小学生から作詞作曲を始める。

寺井尚子さん、チェン・ミンさん、古澤巌さん、そしてクラシック音楽を聴きながら育ち、「音楽」はかなり早い段階から自分の一部でした。

高校卒業と同時にアニソン歌手の道を目指し、地元名古屋の事務所に所属。

そこで演劇の基礎を学び、大学時代からモデル、タレントとしての活動を開始。

演技の授業では、愛知・岐阜方面の方言「たわけ」の三段活用を学び、目から鱗。

歌手を目指していたはずなのに、なぜか「たわけ」の表現力まで身につけることになります。人生、何が役に立つかわかりませんね。

その後、日本テレビ「第三惑星ルドイア」に出演。

水着で一発芸を披露するのが人生初のテレビ出演でした。

そして大学卒業と同時に上京。

ちなみに卒業制作中にぎっくり腰になりましたが、向こう見ずなまま東京に出てきてしまったので、働くことも出来ず必要以上に生きていくのが大変な状況に。

電気も止まり、冷凍庫の氷が解けて水浸しになりました。

上京物語としては、だいぶキラキラしていません。

今思えば、この頃からすでに「とりあえずやってみる」猪突猛進タイプでした。

キャラ渋滞期気がつけば地下アイドル

2009年から、本格的に歌の活動をスタート。

気がついたら地下アイドルになり、和装ドレスで扇子を振り回していました。

漫画家&アニソン歌手を目指して上京したはずなのに、おかしいなぁ。

2009年12月には、レッドリストエンタテイメントより1stシングル「夢幻之城」(バウンディ)を発表。

2010年には、ゲーム音楽家・菊田裕樹さんプロデュースの東方ProjectアレンジCD「東方零響奇譚」に参加。

2011年には年間ライブ本数が140本を超えていました。

今考えると、ほぼ3日に1回ライブです。若さってスバラシイ。

2012年までには、ニンテンドー3DSソフト「アクリルパレット」に本人役で出演したり、テレビ東京「スタートスター」(MC:オードリーさん)などにも出演。

当時は歌だけでなく、モデル、タレント、漫画、着物など、いろいろなことを同時にやっていました。

「アイドルでシンガーで漫画家で着物ってキャラ渋滞しすぎやん」とスパローズの大和さんに突っこまれたのもよい思い出。

まったくもってその通りです。

でも当時の私は、他の誰とも被らないキャラクターを目指すべきだと信じ込んでいたので、一つに絞るつもりは到底なく(笑)、器用貧乏が服着て歩いているような状態でした。

とはいえ、本人はいたって真剣。

プロとしてクオリティを上げることには余念なく、日々修行と思って練習に明け暮れていました。

シンガーソングライター時代演歌歌謡曲を弾き語りで隙間産業

紆余曲折、寄り道、道草をたくさんした末、やっぱり一番やりたいのは歌だと思い、それまでお世話になった地下アイドルの事務所を卒業。

2013年4月から、フリーのシンガーソングライターに転身。

大学時代にデザインを学んでいたこともあり、自分のCDジャケットやフライヤー、グッズデザインなどはすべて自分で制作。

人件費がかからないという事に気が付く。

「好きだから作る」と「外注費が浮く」が見事に両立。

あながち道草も捨てたもんじゃない。

今思えば、この頃にやっていたデザインやものづくりも、後の活動につながる大事な種になっていました。

「葵」という名前から、「青い」→「青いむし」と連想して生まれたキャラクター「あおむし」も、その頃の表現の一つです。

「あおむし」には、

「初心を忘れない」
「いつか蝶のように羽ばたく」

という二つの意味を込めました。LINEスタンプ「ほっこりあおむし」も制作。(現在も販売中)

歌手なのか、絵を描く人なのか、キャラクターを作る人なのか。

この頃もやっぱり、渋滞中。

ライブでは、ピアノ弾き語りに加えて、バイオリン、お箏、三味線なども演奏。

短箏には「紅さん」、お箏には「紫さん」、三味線には「琥珀さん」と名前を付けていました。

ライブで説明すると、なぜか必ず笑われてしまうのですが。

本人は大真面目です。

唯一無二のキャラを目指した結果、楽器の弾ける数は6種類になったが、五木ひろしさんの9種類にはまだ遠い。

目指してるんかい。

多い時には路上ライブも含め月10本前後、歌い続けながら、昭和歌謡や演歌のカバーにも力を入れていきました。

大橋純子さん、八神純子さん、岩崎宏美さん、太田裕美さん、由紀さおりさん、八代亜紀さんなど。

昔から大好きだった歌謡曲を自分なりの形で届けたいと思い、「昭和にタイムスリップ」というテーマを掲げていました。

昭和歌謡や演歌をピアノ弾き語りで積極的にカバーしている人は当時あまり多くなく、本人は勝手に「隙間産業」と呼んでいました。

目指していたのは、その時代ごとに、その年齢だからこそ歌える歌を歌える人。

30歳には30歳の歌を。
50歳には50歳の歌を。

生涯、歌と一緒に成長していきたい。

そして、いつかNHKホールに立ち、往年の名曲を歌い継ぐだけでなく、新しい演歌・歌謡曲の世界を担う一人になりたい。

そんなことを、本気で思っていました。

メジャーデビューそして、活動終了へ

自分のライブ活動と並行して、ピアノ、バイオリン、コーラスなどで他のアーティストのサポートにも参加。

2016年からは舞台「刀剣乱舞」の音楽に、コーラスと箏、三味線で参加する機会にも恵まれました。

歌手として活動していたら、気づけば刀剣乱舞の舞台演出で三味線の演奏指導の動画まで作っていました。

やはり人生、どこで何がつながるかわかりません。

そして運命の2019年。

フリーライブでレコード会社の目に留まり「城所葵」としてメジャーデビュー。

長く目指してきた場所に、一つたどり着くことができました。

「ようやくここからだ」

そう思っていました。

ただ、その直後に世界は大きく変わりました。

コロナ禍によってライブ活動が難しくなり、歌う場所も、届け方も、それまでとはまったく違うものになりました。

「私は何のために歌っているんだろう」

そんな問いが、自分の中に残るようになりました。

そして2021年。

一度、音楽活動を終了することを決めます。

歌を嫌いになったわけではありません。

でも当時の私は、「歌手である自分」を続けることに、どこか限界を感じていました。

フラワーアーティスト時代マイクが花、そして先生に

その後は、学生時代からずっと関わってきた花の世界へ。

ブーケやアレンジメント、装花など、今度は「歌」ではなく「花」で誰かの想いを形にするようになりました。

マイクから花束へ。なかなか振り幅が大きい。

でも当時は、それが自分にとってとても自然なことでした。

そして結婚、出産。現在、2児の母。

ライブの本数を数えていた人生から、今度はオムツの枚数を数える人生になりました。

生活も、自分の役割も、大きく変わっていきました。

そしてもう一つ大きな転機になったのが、『アーティストを支える』というお仕事でした。

気がつけば、今度は自分がステージに立つのではなく、

「どうしたらこの人の魅力がもっと伝わるんだろう?」

を一緒に考える側になっていました。

長く活動してきた経験をもとに、音楽活動や発信、見せ方、届け方を一緒に整理しながら、その人自身もまだ気づいていない魅力を見つけていく。

そして、プロを目指したいアーティストのためのアカデミーを立ち上げました。

歌って、絵を描いて、花を作ったと思ったら、今度は先生です。(名前はYoko先生に)

やっぱり渋滞しています。

でも不思議なことに、人の魅力を見つけて、

「そこ、もっと出した方がいいよ」

と伝えることは、とても好きですし、むしろそれが得意だし、とんでもなく情熱があることに気づいたのです。

その仕事はとても面白く、やりがいもありました。

一方で、いつの間にかまた、

「何が仕事になるか」
「何が求められているか」
「何をやった方が正しいか」

そんなことを考えすぎて、自分自身の「やりたい」が少しずつ見えなくなっていました。

人には「自分らしく」と言っているのに、自分のことになるとなかなか難しい。

Yoko先生、盛大にブーメランを受けます。

第二章表現に、境界線はいらない

そして2026年。

ふと、もう一度歌いたいと思いました。

でも歌だけではありません。

絵も描きたい。
花も作りたい。
言葉も届けたい。
誰かの魅力を見つけて、その人らしい形にしていくことも続けたい。

そこで、ようやく気づきました。

生徒さんたちに、

「本当の自分自身をありのまま認めていいんだよ。これまでの人生すべてが唯一無二のあなたの歴史だよ」

って言っていたのに、

私自身がそれを認められていなかったことに気づけたんです。

衝撃でした。

私は、歌を辞めたかったわけではなかった。

私はただ、自分を一つの役割や、一つの表現方法に閉じ込めたくなかっただけだったのだと思います。

振り返れば、ずっとそうでした。

歌。
楽器。
絵。
デザイン。
キャラクター。
花。
言葉。
そして、人の表現を支えること。

昔は「キャラ渋滞」と笑われたものも、
遠回りだと思っていた道草も、
今では全部、同じ場所につながっていることに気が付いたんです。

私にとって表現とは、

自分自身を作品として表現すること。

誰かの想いやイメージを、作品として形にすること。

そして誰かの中に眠っている魅力を見つけ、世界に届く形にすること。

そのすべてです。

だから第二章では何かひとつに絞るのではなく、

これまで歩いてきた道も、
身につけてきたものも、
これから出会うものも、

全部使って表現していきます。

表現に、境界線はいらない。

寄り道も、道草も、キャラ渋滞も(笑)

たぶん全部、ここに来るための必然だったのだと思っています。

城所葵 / Yoko Onoda
第二章、ここから。

出逢ってくださったご縁に感謝します。そしてここまで読んでくれてありがとう(笑)

ABOUT ME